遊び道具をトップ項目で扱うな!

22日の某国営放送の21時から始まるニュース番組のトップ項目がゲームだった。沖縄県の米軍基地問題でもなく、そのアメリカの大統領選挙絡みでもなく、スマートフォンで遊ぶゲームだった。

なんでもアメリカでは大ヒット中のゲームだというのだが、いくら元ネタが日本からのものであれ、そんな遊び道具が国営放送のトップ項目になるのは明らかに狂っていると感じた。

まぁ、アメリカで火が点いたのであれば世界的ヒットにも等しいだけに採り上げない方が変だろう。そこから考えたらニュースとして紹介するのは当然の流れになる。

然し乍ら、やはりトップ項目で扱うことには違和感を覚える。所詮ただの遊び道具なのだからスポーツコーナーの前辺りにするべきだった。

思えば前日の21日にもトップ項目が大橋巨泉さんの訃報だった。確かに巨泉さんはテレビ番組の基礎を作った人だから、その訃報の衝撃は大きいけれど、かと言ってトップ項目にするのは違うと感じた。

著名人の訃報をトップ項目で伝えるのはワイドショーだけで十分だろう。国営放送に求めるのは国の動きと社会の出来事や問題を採り上げること。視聴者はワイドショーの様な内容を見る為に高い受信料を支払っていない筈である。

同一人種でも性格が50種類ある日本という国

新卒の社会人が本格的に活動する頃になると、メディアは挙って【今年の新社会人は○○型】と称して、その近辺で起きた出来事や現象を例えて性格や行動及び対処方法などを紹介する。

一見すると面白い記事なのだけれど、違う角度から捉えたら“基本的な性格が異なる社会人”を毎年産み出していることになる。

これを踏まえれば、第二次世界大戦に敗れ壊滅的な被害を受けた日本が復興し本格的に経済活動を軌道に乗せて走り出したのが昭和30年代だとすれば、彼此半世紀、即ち50種類の性格を持つ社会人がいることになる。

勿論、全部が全部そうだとは限らないが、それでも国を動かした結果が出ている訳で、事実上は50種類の人間が背後に存在していると捉えられるだろう。

然し乍ら、これだけの種類があれば国を纏めようとしても到底無理だろう。絶対に変えてはならない根幹の思想や教育が施されていれば話は別だけれど、常に流動的で新しいものによって社会が動くという仕組みでは幹がないから肝心要のところで踏ん張れない。

いっそのこと、もう一度砕け散ってゼロから遣り直した方が良いだろう。恥ずかしい話だけれど、ここまで統制が取れなくなってしまったら壊れない限り気が付かない。

我儘を国に尻拭いさせるという愚の骨頂

国土交通省低所得者向けに空き家を活用し、家賃の一部を補助する方針を固めたという。参照記事は朝日新聞デジタルより。

やっとというか、ハッキリ言えば“遅すぎ”の感は否めないが、それでも漸く動き出した。これで少しでも低所得者が住居及び住所を持つことが出来れば、きちんとした働き口も見つけることも可能になる。

そもそもいけないのは、貸す側(オーナー)や仲介側が関所を設けて借りる側を容赦なく排除している現実である。確かに収入が安定しない借り主では不安があるのは当然だけれど、かと言って安定ばかりを重視して関所でバンバン斬り捨てていたら島国且つ少子化な日本では借りる側そのものがいなくなってしまう。

現実に空き家&空き部屋が激増している訳で、それが今回の国交省の取り組みに繋がったのだから、関所を設けることが本当に正しいことなのか考え直すべきだろう。

現在の貸し主たちも若い頃は乏しい中でも不安定な中でも部屋を借りることができた。それがあったからこそ今の自分たちがあるのだから、先人に倣って、もっと広い心と懐で接するべきだろう。

結局、自分たちの我儘の結果を国が尻拭いさせられているのだから、とても恥ずかしい話なのである。